本題に入る前に、私の靖国問題に対する基本見解をもう一度書いておきます。
靖国問題というのは、文字通り宗教論争であり、誰の立場から見ても合理的で正しい結論など、絶対にあり得ません。「どのように戦没者を追悼すれば納得できるか」は個々人の感情論でしか語れないからです。靖国支持者が非支持者を論理的に納得させることは絶対に不可能です(逆も同様)。キリスト教の神とイスラム教の神はどちらが正しいか、論理的に結論が出ないのと同じです。
ですから、このエントリのコメント欄も念のためオフにしておきます。議論は無意味だと思うからです。
ここからが本題。
読む前の『靖国問題』に対する私の先入観は次の2つ。
1. 今年出版された靖国神社問題関連の書籍の中で、一番世間で話題になっている。
2. 靖国神社大好き人間に嫌われている本。ということは、著者は反靖国的思想の持ち主であり、かなり強い主張が書き込まれているはず。
私の感想をできるだけ手短に書きます。
やはり、著者の高橋氏は靖国神社大嫌い人間でした。
冒頭の第一章に、政治的な諸問題をさしおいて「感情の問題」が配されていることに感心しました。本書の最大の個性だと思います。
高橋氏は、「A級戦犯」を分祀しても新しい追悼施設を建設しても問題の根本解決にはならないと主張します。「A級戦犯」を分祀した場合、中韓との政治決着は可能だが、責任を「A級戦犯」に押し付けることで靖国神社などの戦争責任がうやむやになってしまうとのこと。また、新しい追悼施設を作っても、やはり歴史認識問題は解決されず、施設が「第2の靖国」に化してしまう可能性があると主張します。
この辺の主張に全面的には同意できないのですが、ともかく感情の問題や歴史認識問題が解決できなければ無意味、という考え方が全編に亘って貫かれていて、私には新鮮でしたし、同意できる箇所も多々ありました。
本編の最後の部分では、高橋氏が考える靖国問題の解決策が4点に亘ってまとめられています。引用し、それぞれに対する私の所感を書いておきます。
政教分離を徹底することによって、「国家機関」としての靖国神社を名実ともに廃止すること。首相や天皇の参拝など国家と神社の癒着を完全に絶つこと。ここは同意できません。現在の内外の政治状況の下での首相の参拝が外交的に好ましくないことは確かだと思いますが、その一方で、首相といえども信教の自由があります。首相が個人的に参拝しても文句が出ない状況になるのがベストだと思っています。なお、私は靖国神社が嫌いですが、靖国神社を信仰する人を嫌ったりはしません。信仰は個人の自由。
靖国神社の信教の自由を保障するのは当然であるが、合祀取り下げを求める内外の遺族の要求には靖国神社が応じること。それぞれの仕方で追悼したいという遺族の権利を、自らの信教の自由の名の下に侵害することは許されない。完全に同意。私が靖国神社を嫌う最大の理由がこの点です。
【関連エントリ】台湾先住民の合祀取り消し要求
近代日本のすべての対外戦争を正戦であったと考える特異な歴史観(遊就館の展示がそれを表現している)は、自由な言論によって克服されるべきである。これも完全に同意。のみならず、靖国問題根本解決の道はここにあるのではないかと思っています。
以前に書きましたが、私は新しい歴史教科書をつくる会の主張のような反自虐主義歴史観が大嫌いです。中韓などに要らぬ反感を呼び起こすからです。また、私の感情に従えば、日本を敗戦に導いた指導者は永遠に自虐されるべきです。仮に靖国神社自身が次のように公言すれば、首相が参拝しても確実に反感は和らぐと思います。
「靖国神社では、教義に基づいて先の大戦における英霊や戦争指導者を追悼慰霊するが、一部の指導者の戦争責任は許されないと思っている」
絶対にあり得ないでしょうが……
「第2の靖国」の出現を防ぐには、憲法の「不戦の誓い」を担保する脱軍事化に向けた不断の努力が必要であるこの点には同意できません。「不戦の誓い」をアピールすることは大事ですが、テロリストや一部の不穏国家が跋扈する現在の国際情勢の中での脱軍事化は危険ではないでしょうか。前項の「歴史認識問題」さえ解決できれば、日本が防衛を強化しても「戦争を起こそうとしている国」とは思われずに済むのではないか、と思うのですが……
ところで、amazonのレビューの平均は現時点で3.6(5点満点)ですが、最高点も最低点も多く、両極端に分かれています。概ね、著者の靖国観に同意できる人は高得点、靖国大好きな人は低得点をつけていると思われます。思想的個性の強い本であることの証左でしょう。とは言え、ある立場からの靖国論としては水準以上の説得力を持つことは確かです。私としては、著者は同意できない点も若干ありますが、この本には高得点をつけておきます。


