残念ながら、マスメディアの論調に押される形で、JR西日本自身が社員叩きを始めたようです。毎日新聞の昨日の記事の見出しと冒頭の文には憤りすら覚えました。
JR福知山線脱線:JR西社員の不適切行動、新たに185人−−ゴルフ、宴会も…
「不適切」という表現はどうかな、と思います。非番時にゴルフをしようが酒を飲もうが、事故の原因と直接には結び付かないでしょう。
そんなことよりも、速度超過の直接的原因となった定時運行へのプレッシャーをどう改善していくのか、具体的な方策を示すのが先だと思います。
また、毎日新聞をはじめとするメディアの皆さん、もしJR西日本を叩きたいなら、事故原因に直結する本質的な部分を徹底して叩くべきだと思います。ゴルフやボウリング叩きのようなことの繰り返しでは、「プロの記者の倫理観など素人にも劣る」と思われても仕方無いですよ。
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これ以降は、5月9日に追記しました。
メディアによる「JR西日本叩き」はおかしいのではないか、との一部世論に気付いたのか、毎日新聞は次のような記事を出してきました。
発信箱:尻馬に乗るな 山田孝男
国鉄改革とは一体何だったのかと思わせるJR西日本の退廃を厳しく問うのは当然だ。しかし、糾弾調も過ぎればJRを萎縮(いしゅく)させ、例の「日勤教育」同様、効果が疑わしい、とならないか。
淡い懸念、という程度の穏やかな論調で物足りなく感じますが、内容には同意できます。「毎日新聞も自戒します」のような一文があれば、なお好印象だったかも知れません。
【関連エントリ】JR西日本の2人の運転士の手記



「生命は、死を恐れない。死の面前で、笑いながら、
踊りながら、滅亡した人間を踏み越えて進んでゆく」
魯迅の言葉です。
地球規模で考えれば、一方で死者が出て、
一方で遊びに興じて美味いものに舌鼓を打つ。
こういう現象は日常茶飯事に起きているのでは?
ぼくも事故当日はビリヤードに興じてました。
ソマリア難民の飢餓や旱魃で日々死に行く子供達を見たら、
日本人(特に関西人)はまだまだ甘チャンだなぁと思います。
人類は万物の霊長と思いあがり、人間原理を振りかざし、
生きることだけに特別な意味や価値を見出そうとするから、
中途半端なヒューマニズムに走りがちになるのでは?
死ぬこともまた意味があり価値があるもので、
生きているものは全て土に還り地球の一部になるのです。
そして食物連鎖により、ありとあらゆるものとして循環します。
自然現象(地震や旱魃、水害など)も地球が生きている証拠で、
人間も地球の一部(というか寄生虫?病気?)に過ぎないのです。
これがごくごく自然な現象であり現実だと思います。
最近のマスコミの論調を見ていると、そういう現実から逃避して、
他の事物に責任転嫁し過ぎなのではと熟々思います。
孫子の兵法(他を知り己を知るは百戦危うからず)じゃないですけど、
とってつけたような正義面を提げて、JR西日本(特に垣内剛社長)を
利益優先主義と槍玉に挙げる前に、まず自分達が視聴率第一主義である
ということを認知して貰いたいものです。
この大事故の当事者であり、本来なら集中砲火を浴びせられたであろう
JR西日本労組書記長のニヤケ顔を全国のお茶の間に流し、
マスコミは十分視聴率や購読料を稼げたのでは?
ボウリングや宴会に興じていた社員はみんな非番でした。
じゃあ同じJR西日本でも和歌山電車区なら許せるんですか?
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という諺がありますが、今のマスコミの
報道姿勢は、どこかの痰壷チャンネルのような向きが感じられます。
事故の重大性を認識していたとしても、それをどう判断し、どう行動するかは、それぞれの部署のトップが判断することですから、直接事故に関係の無かった部署が何をやっていようと、別にいいと思うんですけどね。
真に是正すべき問題(過密ダイヤ、日勤教育 etc)からはずれたところで「叩き」をやっても仕方がないと思うのですが、そういった事で世論が動くという現代の構図を巧みに利用したマスコミ関係者だけが、美味しいところを持っていった感があります。
少し本文に加筆しておきました。