2005年05月06日

福知山線脱線事故と企業風土

今年の国内十大ニュースへの上位ランクイン確実な福知山線脱線事故。一昨日と昨日は、次のことが話題になってました。
JR福知山線脱線:当直「遅れず出勤を」と指示/当日にボウリング、記者指摘で発覚
尼崎脱線事故:ボウリング問題 13人は重大性認識で出席(毎日新聞)

運転士出勤問題とボウリング問題。この二つのニュースを知った瞬間、私が思ったことは、
「運転手やボウリングに行った人はメディアや地域社会から叩かれるだろうな。でも、この人たちを叩かないで欲しいな」
ということでした。

企業内での上司の指示の力は絶大なので、救助に向かわず出勤した運転士を責めるのは酷です。

ボウリングについては、まず、非番の彼らには法律上、ボウリングをする権利も酒を飲む権利もあります。13人は事故の重大性を認識していたとのことですが、やはり上司にはモノが言いづらいです。仮にボウリングを取りやめても事故の収拾のためにできることは何も無い、という「合理的な」考え方をしたのかも知れません(そんな考え方は世間の大多数の人には理解されないのですが)。だから、やはり彼らを責めるのは酷だと思います。

やはり、責められるべきはJR西日本という企業の風土だと思います。利益を重視するのは企業だから構わないのですが、更にあらゆる状況で人名最優先の指示を社員に出せるような企業になるにはどうすれば良いか、JR西日本の上層部は真剣に考えるべきだと思います。
posted by D Slender at 02:11 | ローマ ☀ | Comment(1) | TrackBack(2) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。
地球規模で考えれば、一方で死者が出て、
一方で遊びに興じて美味いものに舌鼓を打つ。
こういう現象は日常茶飯事に起きているのでは?
ぼくも事故当日はビリヤードに興じてました。
ソマリア難民の飢餓や旱魃で日々死に行く子供達を見たら、
日本人(特に関西人)はまだまだ甘チャンだなぁと思います。
生きることだけに意味や価値を見出そうとするから、
中途半端なヒューマニズムに走りがちになるのでは?
死ぬこともまた意味があり価値があるもので、
生きているものは全て土に還り地球の一部になる。
自然現象(地震や旱魃、水害など)も地球が生きている証拠で、
人間もその一部(というか寄生虫?)に過ぎないのです。
これがごくごく自然な現象であり現実だと思います。
最近のマスコミの論調を見ていると、そういう現実から逃避して、
他の事物に責任転嫁し過ぎなのではと熟々思います。
Posted by 自然淘汰 at 2005年05月06日 09:55
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しどろもどろ会見の真相
Excerpt: 事故当日の午前9時半には1種A体制が敷かれていた。 これは列車事故で多数の死傷者が出たために全社を挙げて対応する必要がある事態に発令される。 ちなみに、天王寺車掌区には出動命令は出ていなかった..
Weblog: かきなぐりプレス
Tracked: 2005-05-06 09:34

JR西日本の経営陣は即時辞任せよ。
Excerpt:  JR西日本の経営陣は、未だ職に止まっています。 ようやく、6日になって、会長は経済団体の副会長の再任を辞退したそうですが、 とすれば、今まで辞任する気はなかったのでしょう。  別に大事故が起き..
Weblog: la3751の日々雑感
Tracked: 2005-05-07 13:51
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