2012年08月30日

「法律は身を守ってくれない」論の正しさと危うさ

昨日から千葉県東金市の国道126号交差点での事故に関する2chニュース速報+板のスレッドをROMしています。
【関連リンク】2chの該当スレ自動まとめブログ
事故そのものは歩行者側に信号無視があった可能性が高いため、当ブログのテーマからは少々外れるかも知れません。しかし、2chスレの話題が途中から元ニュースを離れて横断歩道論議に発展したため、興味深く読んでいるわけです。例によって、「車は横断歩道で止まらなければならない派」(以下、Aグループと呼びます)と「車が止まらなくていい or 歩行者が待つべき場合があるよ派」(以下、Bグループと呼びます)の論争が生じています。当ブログでくり返し述べてきた通り、法的には歩行者がいる無信号横断歩道では車が止まらなければならないことは明白。したがってルール議論に持ち込めばAグループが勝つのは必然です。

ところが、この種の議論では、以下のような論法でAグループの主張に異を唱える人が現れることが多いものです(件の2chスレも例外ではありません)。すなわち「法的には車が悪いのは確かだが、法律は歩行者の命を保証してはくれないよ(だから、無理して横断歩道を渡らない方がいいよ)」という感じの主張(以下「危険論」と呼びます)です。この主張はある意味で全く正しいでしょう。一説によるとドライバーの9割が道交法38条を守っていない現状があるわけですから。とは言え、私はこの種の危険論に大いなる違和感を覚えます。なぜか。1つには論点が少々ずれている感じがします。ルールに基づく主張に対して情緒的注意で返しているためです。

もしリアルで私に危険論的な発言をする人が居て、更にその人が車を運転するとしたら、私はその人に問い返したいのです。「あなたは道交法38条をちゃんと守っていますか?」と。法を遵守した上で危険論を主張するならば、私はおとなしく同意するかも知れません。逆にその人が法を守っていなかったのなら到底首肯することはできません。日本の道路の現状に照らして危険論が正しいとしても、法律を守らないことの言い訳として利用することは許せません。

仮に全てのドライバーが道交法38条を遵守していれば、横断歩道上の危険はほぼ完全に消滅します。特定の場面での方便(たとえば小さな子供に対する注意)としての危険論はあって良いと思いますが、社会全体としては、危険論を語らなくても良い状態を目指すべきだと思うのです。
posted by D Slender at 20:44 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 横断歩道問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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