2005年02月17日

Webでの批判の際の心構え

以前、この話題で記事を書いたような気がしていましたが、微妙に違っていたので、今書きます。

今更ですが、Web上で特定の個人(ここでは実名、匿名を問わない)を批判する際には、相当な注意が必要です。下手をすると、全く論拠の無い誹謗や中傷の応酬にもなり得ます。

かと言って、Web上での批判はやめよう、と定めるのは無味乾燥だと思います。何故なら、論拠がちゃんと書き込まれた批判的な文章は、たとえ自分の考え方とは異なっていても、読んでいて面白いと思うからです。個人的には、自分と似た思想の文章を読むよりも面白く感じることが度々あります。やはり「Web上での批判」にはそれなりの存在意義があると思うのです。ただし、どうせ批判するなら波風は最小限に留める方が良いでしょう。批判対象本人がある程度不快感をもつのは止むを得ませんが。

私は、このブログでは特定の人やサイトの批判を書いていないつもりですが、他所では書いていますし、今後はここで書くことがあるかも知れません。そのときのために、私自身がWeb上で他者批判する際に心がけていることを列挙していきます。

なお、この記事を書くにあたり、ブログ「むだづかいにっき♂」さんの記事
批判系サイトで気をつけたいこと
いろんな異論は不快ですか?
を参照しました。
 
A. 批判したら、必ず根拠を書く
当たり前ですよね。更に、その根拠はある基準に照らして筋が通っているものであるべきです(相手がその基準に納得するかどうかは別問題)。

B. 自分の感性で批判する。論拠を他人に求めない
「皆がそう思っているから駄目」のような論法を使わない。「俺が気に入らないから駄目」の方がよほどマシ。何故なら万人が正しいと思う判断など滅多に存在しないからです(この点は次項に詳しく書きます)。

C. 絶対的に正しいものは稀なので、批判しつつも冷静に
例えば「質問系掲示板でマルチポストは良くない」はネットマナーとして広く知られていますが、万人が納得する絶対的なマナーではありません。何故なら、私自身がマルチポスト容認主義者だからです。この件に限らず、「誰が見ても絶対的に正しいこと」とか「あらゆる面で他よりも優れているもの」など滅多にありません。一見絶対的に正しく見える理屈も、狭い社会だけで通用することは少なくないはずです。だから、批判しつつも、自分の意見も所詮はその程度に過ぎないのかも知れない、と思えるほどの冷静さと謙虚さを忘れずに。

D. 言葉遣いに注意し、言うべきことは直裁に言う
乱暴な言葉遣いを避けた方が良いことは当然。更に、持って回った表現や皮肉っぽい表現はネット上では避けるべきだと思います。余分な誤解の元です。そんな表現に頼らずに、本質にズバリ斬り込むべし。

E. 相手の主張を誤読しないよう最大限の努力を
当然でしょう。誤読されても仕方ないような主旨曖昧な文章も存在しますが… そういえば、批判文ではないですが、以前私もこのブログで誤読を指摘されたことがありました。ブログのコメントは何のため?です。今回のテーマに若干関連があるので、ついでにリンクしておきます。

F. 引用をする際には、誤解を招かないように十分長く引用する
ごく一部分の引用だけでは全体の趣旨が読み取れないのはよくあることです。

G. 批判すべき件と無関係なことでは批判しない
特定の論点に関して相手が全面的に批判されるべきだと思うなら容赦なく叩いて良いと思っています(もちろん、相手に一分の利があると思うならそれは認める)。しかし、たとえば「文章がキモい」のような極めて主観的感情的批判は殆ど意義がないでしょう。あくまでも、文章の内容と、内容が的確に伝わっているか否かで批判すべきです。

H. 人種・宗教関連のことには言及しない
上記のB,Cで書いたような“主観的な批判”が通用しない領域だと思います。特に、宗教に関してはネット上での批判には向かないのではないかと。

ところで、蛇足気味の追記ですが、「いろんな異論は不快ですか?」(むだづかいにっき♂)の中で
相手に知らせないで、なおかつその相手のサイトへの入り口を用意している批判と言うのは、言ってみりゃ「バカ晒し」と何ら変わらないと思うのです。

とありますが、ここだけは私は違う意見を持っています。自由なリンクはWebの大原則。筋の通った批判であれば、相手に知られないリンクをしても構わないと思います。実社会の企業人事などでも、本人が居ないところで辛辣な評価が話し合われたりしますからね。この件を除けば、「むだづかいにっき♂」さんの主張全体には大筋で同意します。
posted by D Slender at 08:40 | シンガポール ☀ | Comment(5) | TrackBack(4) | ネット問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
深く、考えさせてくれる貴重な意見や、
情報、ありがとうございました。
Posted by ete at 2005年02月17日 11:52
こんばんは。
トラックバックして頂いた記事の方で、感想を書かせて頂きました。
Posted by D Slender at 2005年02月17日 23:19
久々に読み応えのあるトラックバックを頂き、嬉しく思います。

>筋の通った批判であれば、相手に知られないリンクをしても構わない

リンクは自由の原則から、リンクの有無は強制すべきものではないのですが、「筋の通った」批判であれば、相手の読ませる価値がありますよね。
相手が根っからのバカであった場合は、最初から批判するに値しないでしょうし。
単なる悪口であれば、相手に知らせることで、悪口を書いた側が、相手や他の閲覧者の失笑を買うわけですが、正当な「批判」だからこそ、相手のいないのところで、時として嘲笑になりやすい環境を作りつつ、仲間内で議論を進めることに、僕は抵抗を感じます。
Posted by えっけん at 2005年02月18日 22:27
えっけんさん、コメントありがとうございます。

>正当な「批判」だからこそ、相手のいないところで、時として嘲笑になりやすい環境を作りつつ、仲間内で議論を進めることに、僕は抵抗を感じます。

ああ、なるほど。「正当な批判」が相手サイトへの「嘲笑」を生む可能性があるということですね。確かにその恐れはあると思います。批判文の作者だけでなく、読む立場の人も一定の心構えを持つべきなのかも知れません。
Posted by D Slender at 2005年02月18日 22:47
えっけんさんが言いたいのは、

「「筋の通った」批判であれば、相手の読ませる価値があ」るから、それを、「相手のいないのところで」批判するな。
それは、そこに「時として嘲笑になりやすい環境を作」るからだ。

ということでしょう。

そもそも、えっけんさんの文章は、
>筋の通った批判であれば、相手に知られないリンクをしても構わない
に対してであるから、
>「正当な批判」が相手サイトへの「嘲笑」を生む可能性がある
ではなくて、その批判を相手にきちんと伝えなければそうなる、ということでしょう。
Posted by けんしろう at 2006年08月10日 14:19
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