2005年12月17日

宇治市の塾での刺殺事件への私見

この事件の関連エントリとしては、発生翌日に書いた
大学に責任はある?(京都女児殺害事件関連)
がありますが、その時点では動機等が不明確だったので、事件そのものには余り言及せず、報道の仕方と大学の責任論に留めておきました。

今日は事件から一週間。色々な報道を通じて、事件の背景や容疑者の人物像がだいぶ明らかになったように思うので、私見を少々書きます。

「生徒に嫌われている」…小6刺殺・萩野容疑者(読売新聞・12/15)
 京都府宇治市の小6女児(12)刺殺事件で、学習塾の元アルバイト講師で同志社大法学部4年萩野裕(ゆう)容疑者(23)が京都府警の調べに、「塾の生徒たちにからかわれ、嫌われていると思い、悩んでいた」と供述していることが14日、わかった。萩野容疑者が、被害者の女児以外の塾の生徒らとの人間関係でも不安を感じていたとみられ、府警はこうした心の葛藤(かっとう)が、女児に対する殺意を増幅させた可能性もあるとみている。

生徒に嫌われることは確かに大きなストレスになります。とは言え、普通は殺そうとまでは思わないはず。この点が不思議でならなかったのですが、次の記事を読んで、何となく理解できたような気がしました。
小6刺殺、萩野容疑者 過去に窃盗など数十件(産経新聞・12/14)
 萩野容疑者は大学三年生だった平成十五年六月、同大学図書館で椅子(いす)の上にあった女子学生のかばんから財布などを盗み、取り押さえようとした警備員に抵抗してけがをさせ、強盗致傷の現行犯で逮捕された。

 その際、府警中立売署の調べに対し、萩野容疑者は「自分も窃盗の被害を受けていたので腹いせにやった」などと供述。ほかにも数十件の犯行を自供し、同署は裏づけが取れたものに関し送検、京都地検が約十件の事件について、窃盗罪などで起訴した。

「誰かに盗まれたから腹いせに他人のものを盗む」という思考経路は、「生徒に嫌われている(と思った)から殺す」とよく似ていると思います。逆境に対する耐性が極端に小さく、かつ、他者を同様の状況に追い込むことで解消しようとする傾向があるようです。特に、今回の件は就職という人生の一大事が関わっているので、彼にとっては相手の人生を奪うにも値したのでしょう。

つまり、今回の事件は容疑者独特の精神的傾向が引き起こしたものだと思うのです。だとすれば極めて個人的な事件であり、学習塾や大学や社会一般に責任を求めるのは筋違い。やはり、人格形成期における育てられ方が大事なのではないでしょうか。

【追記】キャンパスに今も暗い影 学生「就職活動に影響も」(共同)
繰り返しになりますが、大学の責任は皆無だと思います。断言してもいいです。率直に言って、この事件で同志社大に悪いイメージを持つ人が居るとしたら、その人の思考回路は私には全く理解できません。

【更に後日追記】学習塾「京進」については、塾内で起こった事件なので、生徒のケアなどを行う責任は勿論あります。しかし、塾が事件を未然に防ぐことができたか、と考えると、現実的には無理でしょう。萩野容疑者のようなタイプの講師の存在を予め想定することは困難だったはず。


posted by D Slender at 07:53 | ムンバイ 🌁 | Comment(2) | TrackBack(1) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
京進宇治神明校は、「こども110番のいえ」に指定されていた。職員に強盗傷害罪で執行猶予期間中の者がいたのに!
ムチャクチャ。
京進や同志社大学ばかり非難されてるけど、まともに調査せず指定した警察にも責任がある。
もっとも、根本原因は、異常な性格に育てた両親の養育方法ですがね。
Posted by hisa at 2005年12月17日 21:45
教育現場では、「生徒とそりが合わない」ということはわりとあることです。それにどう対処するかによって、全く違った結果が生まれます。容疑者(23?)にも、被害者の担任(28?)にも、校長(32?)にもそれがわかっていなかったのではないでしょうか。もしかすると、社長(元教員ではない)や幹部達も。15年くらい前でしょうか、本格的な教室展開が始まったのは。そのとき、多くの講師達が辞めています。内容まではわかりませんが、意見が対立したそうです。そして今、辞めたいという生徒がいたら「なんとしても引き止める」「(自社の)他校との生徒数や合格者数を競う」ようです。容疑者は、今でも被害者を「志望校に合格させたかった」と言っています。無理をすれば、予想外のことが起こるのは世の常です。事件の原因も責任も、すべては容疑者の異常性にあることは言うまでもありません。しかし、異常な人間が内部にいたとしても、最悪の事態を防ぐ方法はあるはずです。今回、事件を未然に防ぐことが出来たかではなく、今後二度と起きない方策という観点で事件を検証すべきです。それは、少なくとも講師の管理を徹底することではないように思えてなりません。まずは、誰が学生アルバイト講師かを保護者に明らかにし、学生アルバイト講師にはあまり大きな責任を求めることをやめることが第一歩ではないでしょうか。
補足:容疑者は、京進の前、京都府南部の最大手の塾で、強盗傷害事件を起こすまで講師をしていました。そこでは、「可もなく不可もなく」だったようです。期待も責任も負わなかったのでしょう。ところが京進では、生徒に受ける授業を数回の研修で身につけ、一躍人気講師になっていき、つれて期待と責任に応えようと無理をしたのではないでしょうか。「死ね。ウザイ」と言われても、何とか「志望校に合格させたかった」のは、その表れと思われます。
Posted by 憂慮 at 2005年12月19日 22:56
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Excerpt: NHK職員放火事件や京都女児殺害事件などの報道で気になったのが、 犯罪者の責任をどこまでその所属団体が負うのか? ということ。 どちらの犯罪も、通常考えられる業務の範囲・注意義務を逸脱しており、..
Weblog: 週刊 反論
Tracked: 2005-12-18 14:57
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